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日经春秋 20151210

2015-12-10 11:42 267 查看
中国・湖南省で生まれ育った林耶凡さんが母親とともにカナダに移住したのは、13歳の時。アナスタシア・リンという新たな名前で暮らし始めても、しばらくは中国で教わったことを信じていたそうだ。やがて、1989年の天安門事件など共産党政権の暗部を知る。

▼声を上げないではいられなかった。中国に人権を、中国に民主主義を、と。大学で演劇を学び、女優となってから、言動は熱を帯びた。効果的なアピールの場になると期待して参加したのが、ミス・ワールド・コンテスト。今年5月にカナダ代表の座を射止め、今月19日に中国のリゾート地で開く決勝に出る資格を得た。

▼そこまでだった。招待状はとどかず、自腹を切っての現地入りも阻止された。オタワ駐在の中国大使館員はカナダ紙に告げた。彼女はペルソナ・ノン・グラータ(歓迎されざる人)だ――。もっとも、3日に香港からカナダに戻ったリンさんは空港で大歓迎を受けた。ミスコンに出る以上の効果があったといえるだろう。

▼無粋な。中国当局の対応にそんな感想を抱いた人は少なくあるまい。ひるがえって日本。旧日本軍による戦争被害などをテーマに都内で開いたシンポジウムに、細菌戦被害者の遺族ら中国人12人が出席できなかった。ビザ発給を拒んだ理由を外務省は明らかにしていない。こちらはこちらで恥ずかしい気分を禁じ得ない。
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