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日经春秋 20151128

2015-11-28 10:39 190 查看
大手流通業に勤め、20代は宣伝や仕入れなど主に華やかな部署で働いてきた。そんな須藤シンジさん(52)が生き方を変えたきっかけは、20年前に生まれた次男だったという。生後10カ月で医師の下した診断は、重度の脳性まひ。歩くのは一生無理だろうと告げられた。

▼福祉サービスの利用者になり感じたのは「わが子でも履ける、しかもカッコいい靴がない」ということだった。会社をやめ事務所を設立。大手メーカーに働きかけ、足がまひしたり片手が使えなかったりという人も着脱しやすく、健常者の目にも魅力的なスニーカーを世に送る。その後もこうしたものづくりを続けてきた。

▼昨年から都内で「超福祉展」と題した展示会を開く。先日、2回目の催しをのぞいてみた。しゃれた車椅子、耳が遠い人でも聞き取りやすいスピーカー、映画鑑賞時に自分用の字幕が目の前に浮かぶ眼鏡。さまざまな会社が技術とセンスを駆使し、障害者や高齢者のための発想を競う。会場は若い見学者たちでにぎわった。

▼5年後の「オリパラ」に向けて、この流れを盛り上げたいと須藤さん。オリパラとはオリンピックとパラリンピックを一体ととらえた時の略称だ。障害者と健常者がスムーズに共生するためのものづくりや駅、道などのデザインに力を入れ、世界に見せてはどうか。派手な建物や一過性の商標より、よほど未来につながる。
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